駅前散歩
閑にまかせて駅前を散策してみました。
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「赤字ローカル線」なんていう言葉が流行った時代がありました。旧国鉄が民間
のJRに移行しようとする頃だったでしょうか。民間企業に移行するからには、利
用客の少ないローカルな路線は厳しくも廃線にしようとする時代の流れでした。
あれから20数年。複線にはなっていませんが、電化されてステンレス製の電車
がスピードを上げて走っています。連結する車両も大分長くなりました。
変わっていないのは、田園風景。駅前からこの田んぼのあぜ道を直進すること
2〜300mで我が学舎に到着です。この道の左側、現在は養護学校ですが、昔は
泥地でした。オイラが中学生の頃は、この沼でウナギやナマズが釣れました。
もともとの湿地帯に我が学舎のビルが建設されたために、校舎向かいの「桜田
住宅」という集落の地盤が浮いてしまうという珍事も発生しました。
駅前です。売店はおろか、自販機の一台も存在しません。平成も16年というの
にです。自転車は置き放題です。勿論只。当時は跨線橋などは存在しませんでし
た。どうせ、列車など通らない方の時間が長いのだから、線路を横切れば済むこ
と。今では1時間に6往来ほどのダイヤが組まれているので、さすがに危険なの
でしょう。
Suicaを通す器機がありました。意外です。
勿論無人駅です。列車の到着を知らせるアナウンスがテープでされていました。
当然、20数年前にはあり得ませんでした。無人駅なので、車掌が切符の回収・精
算も行います。乗車するときは、降車駅で精算します。その為に、乗車駅証明証
発行機なるモノが存在します。ボタンを押すだけで、いくらでも出てきます。いつの
日か、この証明書を持って、遠いJRの駅で降りてみたいと思っています。
駅前からは大分離れましたが、座架依橋の風景です。川向こうの厚木市側から
撮りました。
当時(拙者の高校時代)に、相模線がローカルであれば、この橋も非常にローカ
ルな道路を渡していました。
当時は両側で1車線の極狭橋で、大した欄干も在りませんでした。交互に交通
を整理する信号機は、よく工事現場などで見かける赤と青だけの単純なモノでし
た。橋の高さも、今に比べれば大分低くて、大きな豪雨ですぐに潜ってしまいま
す。その後復旧するまでには数ヶ月の月日を要し、不便極まりなかったです。
かつて、この橋のすぐ上流・座間側には、東海大学のグライダー滑走路があり
ました。墜落事故があって、その後すぐに撤去されています。オイラが子供の頃
の話です。音を立てずに旋回するグライダーをこの橋の袂から見ていた日々が
懐かしいです。
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